2009年08月19日

黒ツグミが独り立ちした日

ストラスブールのあるアルザス地方(L'Alsace)は戦争のためにドイツに占領されたりフランスに戻ったり、幾度もの戦いの舞台になったのですが、そのために軍事拠点としての立派な要塞が作られ、それが今でも残っていて樹木が植えられ「要塞公園」(Parc de la Citadelle)と呼ばれれて市民に親しまれています。

この要塞はルイ14世に仕えた軍人建設技術者ヴォーバン(Seigneur de Vauban)
が五角形の星形に設計したもので、北海道の五稜郭はこのスタイルを真似たと言われています。今でもその星型の2つ角が完全な形で残っていますが、ほかの部分はあまり確かではないのですが、度重なる戦争など長い年月によって失われてしまったと思われます。
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その公園の中にある美しい流れに沿った小径を人々が犬や子供と一緒にいつも散歩しています。
私たちはこの公園を「私の庭」と呼んでいました。というのも公園を見下ろす建物の12階に住んでいていたからです。

ある日曜日いつものように子供たちと公園を散歩していると、高い木から何かが突然落ちてきました。よく見るとそれは木の上の鳥の巣から落ちてきた小鳥の赤ちゃんだったのです。さあ大変、娘たちはおおさわぎをして家に連れて帰りました。いったい何を食べさせたらいいか分かりません。とにかくソーセージをうどんのようにして与えると食べてくれました。それからはミミズさがしの毎日。ついに近くの乗馬場の馬糞の中にミミズがたくさんいることを発見。大きな生きたミミズは赤ちゃんにとっては大変なことで、のみこんではまたミミズが這い出してくる、それをまたのみこむ、そしてやっとのみこんでしまうと、すやすやと寝てしまうというような毎日でした。

その赤ちゃん鳥には娘たち二人の名前一字づつとってをとって「フサ」と名付けました。

娘たちを親と思ったのか、とてもなついて、それからあっというまに大きくなります。
最初は薄茶色だったフサは真っ黒になり、あっというまにへやのなかで少しだけ飛べるようになったのです。

フサのように巣から落とされた鳥は珍しくないらしく、たいていは死んでしまうのだそうです。

春先のレンギョウ(Forsythia)の咲く頃は公園の川の中で水鳥の親子が列を作って泳いでいます。白鳥もつがいで泳いでいます。そんなのどかな景色がこの公園では普通に見られるのです。木々はまだ葉をつけておらず、つぼみが先のほうに膨らんでいるくらいです。北海道のように一度に春の訪れを身近に迎えたある日、子供たちが見ている中、フサはばたばたと羽を動かし始めました(フサはクロツグミmerleでした)。
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飛べるか飛べないかという状態でしたが、ある日その小鳥はレースのかかったフランス窓から自分の力で一気に飛び降りていなくなってしまったのです。

それっきり、でした。

子供たちは長い間、公園に行くたびにいなくなったフサを探して、ミミズをさがすクロツグミを見るたびに声を掛けたのです。

フサは無事に子孫を残したのかな?それは私と娘たちの希望です。

この公園はいつも私たちの生活ともにあり、素晴らしい思い出の大事な舞台としていまもよく思い出します。
posted by ようこ先生 at 19:31| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | 更新情報をチェックする

白アスパラを食べられなかった痛恨の春

チェルノブイリ原子力発電所事故が起こったのは1986年4月26日1時23分(モスクワ時間)。
ちょうど私たちがストラスブールに滞在していた頃のことです。
あの事故はかなり距離の離れたフランスの日常生活にもいろんな形で大きな影響があったのです。

私たちが暮らしていたフランス東部、アルザス地方の中心都市、ストラスブールにはほかの多くのフランスの町と同じように週に1度色々な通りに決まった曜日に朝市(marché)が立ちます。
市場2.JPG

朝の5時から昼頃まで、近郊の村から農家の人たち自慢の生産物を持って来てテントの中に並べます。朝早く起きて私たちは土曜日においしいものを探しに出かけました。

生産者が現地で作ったチーズや野菜はスーパーで売っているものとは比べ物にならないくらいの新鮮さと味わいがあり、私たちのフランスでの生活の大きな楽しみの一つでした。

そしてあの1986年の4月は忘れられない春となりました。
チェルノブイリのニュースはすぐにフランスにも伝わりました。
しかし、当初はヨーロッパの端のウクライナはあまりにも遠く、大変なことになったとは思いながら、その危険な実感を感じることはありませんでした。
ところが、風の向きが変わって、放射能がアルザス方面や南フランスに向かうようになったのす。

4月は待ちに待ったアスパラガスの季節です
根までやわらかい取り立ての白いアスパラを食べることは春の到来を実感する大きな楽しみのひとつでした。
そのような新鮮はアスパラはもちろん市場でしか手に入りません。
今でも湯気のでているゆがいたばかりのアスパラは夢にまで出てきます。

ところが、その4月、タイムなど多くの香料やお茶やエスカルゴとともに、アスパラガスも放射線汚染を心配して食べられなくなったのです!
放射能を浴びて売れなくなったすべての野菜は廃棄される他なかったのです。

仕事場でも研究者達はガイガーカウンターを持ち出し、
大学の構内を調べてみると、どこでもガーガーとすごい音が鳴り響くのです

遠かったはずのチェルノブイリが身近に迫ってきました。
さて今年の春食べられなかった旬の野菜は来年は食べられるのでしょうか?

ところで、フランスは電力の80%は原子力に頼っているのですが、フランスの原子力発電所も時々事故を起こしており公表されていないことが多くあるという話を聞きました。
丁度同じ時期に国内でも原発事故が起こったけど、チェルノブイリに隠れて、話題にならなかったという話も…。

その2年後、私はアメリカのロサンジェルスに仕事場を移しました。
行ってすぐ聞いた話では、チェルノブイリの事故で被爆した人々が白血病になり、骨髄移植が必要になったそうです。
当時移植の技術はアメリカのほうがはるかに進歩しており、アメリカの助けが必要だったと思うのですが、ソ連とアメリカの関係は悪く、政府レベルの招聘は出来なかったので、ロシア系ユダヤ人の大富豪のドクター・ハマーの仲介で個人的ルートで移植のせかいでは大変有名な私の教授がチェルノブイリに呼ばれることとなり、彼自身が飛行機でキエフの病院まで赴くこととなったのです。
飛行機がキエフに着いてみると、なぜか発送したはずの位相差顕微鏡は到着せず、多分途中で盗まれたのでしょう。再びアメリカから送りなおすことになり、仕事はなかなかはかどらなかったそうですが。

いずれにせよ、私は何かの機会にチェルノブイリ原子力発電所事故の事を聞くたびに、食べられなかったあの年のアスパラガスのことを思い出すことになってしまったのです。
posted by ようこ先生 at 19:17| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | 更新情報をチェックする

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