2009年08月19日

白アスパラを食べられなかった痛恨の春

チェルノブイリ原子力発電所事故が起こったのは1986年4月26日1時23分(モスクワ時間)。
ちょうど私たちがストラスブールに滞在していた頃のことです。
あの事故はかなり距離の離れたフランスの日常生活にもいろんな形で大きな影響があったのです。

私たちが暮らしていたフランス東部、アルザス地方の中心都市、ストラスブールにはほかの多くのフランスの町と同じように週に1度色々な通りに決まった曜日に朝市(marché)が立ちます。
市場2.JPG

朝の5時から昼頃まで、近郊の村から農家の人たち自慢の生産物を持って来てテントの中に並べます。朝早く起きて私たちは土曜日においしいものを探しに出かけました。

生産者が現地で作ったチーズや野菜はスーパーで売っているものとは比べ物にならないくらいの新鮮さと味わいがあり、私たちのフランスでの生活の大きな楽しみの一つでした。

そしてあの1986年の4月は忘れられない春となりました。
チェルノブイリのニュースはすぐにフランスにも伝わりました。
しかし、当初はヨーロッパの端のウクライナはあまりにも遠く、大変なことになったとは思いながら、その危険な実感を感じることはありませんでした。
ところが、風の向きが変わって、放射能がアルザス方面や南フランスに向かうようになったのす。

4月は待ちに待ったアスパラガスの季節です
根までやわらかい取り立ての白いアスパラを食べることは春の到来を実感する大きな楽しみのひとつでした。
そのような新鮮はアスパラはもちろん市場でしか手に入りません。
今でも湯気のでているゆがいたばかりのアスパラは夢にまで出てきます。

ところが、その4月、タイムなど多くの香料やお茶やエスカルゴとともに、アスパラガスも放射線汚染を心配して食べられなくなったのです!
放射能を浴びて売れなくなったすべての野菜は廃棄される他なかったのです。

仕事場でも研究者達はガイガーカウンターを持ち出し、
大学の構内を調べてみると、どこでもガーガーとすごい音が鳴り響くのです

遠かったはずのチェルノブイリが身近に迫ってきました。
さて今年の春食べられなかった旬の野菜は来年は食べられるのでしょうか?

ところで、フランスは電力の80%は原子力に頼っているのですが、フランスの原子力発電所も時々事故を起こしており公表されていないことが多くあるという話を聞きました。
丁度同じ時期に国内でも原発事故が起こったけど、チェルノブイリに隠れて、話題にならなかったという話も…。

その2年後、私はアメリカのロサンジェルスに仕事場を移しました。
行ってすぐ聞いた話では、チェルノブイリの事故で被爆した人々が白血病になり、骨髄移植が必要になったそうです。
当時移植の技術はアメリカのほうがはるかに進歩しており、アメリカの助けが必要だったと思うのですが、ソ連とアメリカの関係は悪く、政府レベルの招聘は出来なかったので、ロシア系ユダヤ人の大富豪のドクター・ハマーの仲介で個人的ルートで移植のせかいでは大変有名な私の教授がチェルノブイリに呼ばれることとなり、彼自身が飛行機でキエフの病院まで赴くこととなったのです。
飛行機がキエフに着いてみると、なぜか発送したはずの位相差顕微鏡は到着せず、多分途中で盗まれたのでしょう。再びアメリカから送りなおすことになり、仕事はなかなかはかどらなかったそうですが。

いずれにせよ、私は何かの機会にチェルノブイリ原子力発電所事故の事を聞くたびに、食べられなかったあの年のアスパラガスのことを思い出すことになってしまったのです。
posted by ようこ先生 at 19:17| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | 更新情報をチェックする
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